2014年4月20日日曜日

夫の誕生日

夫が誕生日をむかえた。
前日は義母が息子の誕生日に、小料理屋に招待するって言うので喜んでいたが、
着物着ていくから、あんたにあげたぞうり返しっていう、いつものことだから驚かない。
明日もって行ってあげるし、着物も着るの手伝ってあげるよといったんだけど、
夜の十時過ぎに電話してきたからよほど着物きたかったんだろうと思っていた。
で、当日ぞうりもって、帯も持っていって、髪もなんとかしたいというのでスプレーも
持っていった。一体誰の誕生日なんだろうっと思ったけど、まあいつものことだ。
で、当日着物着ないっていうから、あんなに着るって騒がれたから、手伝ってあげるから
着たらって言ったんだ、で一番良い着物着たから一番いい指輪もしてったらって言って
小料理屋に行ってご馳走になってみんな喜んだけど、今日義理の弟が来たので
空港に迎えにいったよ、それから買い物に行ったとき、義理の弟に、
わたしと息子が着物着れ着れって言うから着たんだけど、息子は着物がすきなのかねえ、
なんてとぼけているんだ。あんなに夜遅く電話してきて、着物着るのに賛成してくれますかって
いうから、なんでも来て頂戴って面倒くさいから言ったよ、手伝ってあげるっても言ったよ。
でもまるで私たちが着るようにいったので仕方なく着たように義理の弟に報告したんだ、
なんかよくいうよっておもったけど、あきれてなにも言わなかった。
いつもいろんな形でふりまわされてるなー。この形ははじめてだ!

2014年1月10日金曜日

安い回転寿司

浜寿司を知っているだろうか
今日はまつり寿司も羽衣亭も飽きたので、浜寿司に行ってみた。
いつもは金色だの銀色だの寿司の皿で値段が変わるから、できるだけ光らない普通の色の
一番安い色の皿を多く注文して時々光る皿を頼むんだけど、今日は一色の色しか見当たらない、
近くに会計の済んだお皿をかたずけにきたお店のお兄さんにこのお皿はいくらですかと聞いたら、
今日は平日なので全部90円ですよ、という。なななんて安いんだ、うにもいくらもマグロも鯛も
蟹もとびっこも、ホタテもエビフライもカリフォルニアまきもどれも90円なのだ、しかもネタがいい。
金に糸目をつけずに寿司を食べたのは、母がご馳走してくれたとき以来だ。
ちょっと調子に乗って二人で25皿もたべてしまった。でも2500円でおつりがくるのだ。
もうすっかり気にいってしまった。でも土日は百円なんだそうだ。それでも激安だよね。
貧乏人の見方浜寿司は最高だー 。

殺意の新年

いやー新年なのだ、
午年なのだ、私の年なのだーひひひひーん。
新年には雪の摩周湖も見たのだ、去年読んだ摩周湖という本を思い出しながらわくわく
しながらまずはお土産屋さんに入ってみ手からだと思って物色してから裏口から出たら目の前が別世界だった。摩周湖がいきなりばーんと現れた。びっくりした。美しさにもびっくりしたけど、やはり神秘的だ。 でも読んだ摩周湖の本のように林を抜けたらいきなり摩周湖が現れたと書いていたので、それを期待してたんだけど心の準備が出来てないうちに現れるとあせる。でも見れば見るほどこの世のものではない感じがする、グランドキャニオンを見たときの十分の一くらいの驚きだった。
帰りは鶴居に行った、丹頂鶴が頭の上を飛んでいく、鹿も目の前に道路に現れるし、なにがおこるかわからない北海道の冬。 でも年末からおせち料理を作り義母の家では夫が義母に酒をどんどんすすめていた。もう飲めないというのに俺のしゃくでは酒がのめないのか、さあぐっとあけろ、
おっとっとと言えとかいって数えで90になる母に勧める夫の姿に殺意を感じた。
でも次のあさけろっとしてるので、こっちは二日酔いの重い頭で、今度は私が殺意をもって
餅を進めたがぺろりと平らげた。黒豆、昆布巻き、伊達巻、松前漬け、飯寿司、数の子、いくら
お雑煮、ミートローフと全部平らげて、いい正月だったと義母は喜んでいた。 それにしてもよく作ったと我ながら思う。もう面倒くさいので来年はおせち買おうっと。

2013年12月13日金曜日

暇だ

最近暇だ、
することはたくさんあるのだが、どうも仕事探してやってるようで、なんか不完全燃焼してる。
連れも家のものずいぶん売ったけど、売り食いが終わったらどうしようかって思ってるみたい。
確かに家のもの売ると家のかなに要らないものがなくなってあの世に行くときにはすっきりするんだろうけど、売れども売れどもなくならない。そりゃ今までの生活と違うから、エナメルのバッグとか
しゃれた白いグッチなんていらないから売るけど、どうしても売れないものがあるかぎりどうも
すっきりとは程遠いのだ。 売れないものは巨大な壷とか古い木の臼とか。鉄の豚や
石の蛙なんか絶対売りたくないから、わたしがあの世にいくときどうすりゃ良いんだ。
残されたものはさぞ困るだろうな。石のすりこぎとか靴の鉄型、鉄のアイロンなどおもいものばっかりだ。 そういえば今日始めて雪が降った。車の運転が怖かったけど、凍らない限りけっこういけるもんだ。 向かいのチビはでても来ない。チビは寒くてどうするんだろうって人のうちの子だけど
つれと心配してるんだ。 電気毛布でもあげようか。 明日は義母の家のじゅうたんを引っ剥がして
新しいのを敷くんだ。 近所にいったこの店は何屋なんだって店があっていつも不思議に思っていら、年末のチラシが新聞に入っていて、絨毯屋だってわかった。で行って見たものすごくたくさんの絨毯の品揃えで、この店の親父はなんて商売がへたなんだろうって思った。外からみて何屋なんだろうって思ったもの。で100パーセントウールの上等絨毯を注文した。チラシだした甲斐があったね。 だんだん義母の家がきれいになっていくけど、年寄りはいつものところにいつものものがないと混乱するみたい。私がいつも動かしてばかりいるんもんで頭が混乱してへんになったみたい。
なにせ仕事ないものだから義母の家のもの動かしたり、押入れ壊したりしてるんだけど、
義母は良いねって言うけど、次に行ったら、ヘルパーさんに手伝ってもらって元に戻したりしてる。
 やっぱりいやなんだね。明日は義母の家の何を動かそうかな。暇なんだもん。

2013年11月6日水曜日

タクアン漬け

生まれて初めてたくあん漬けに挑戦したのだ!
大根を20本生協で買ってきて荒縄でしばって2週間も天日でほした。葉っぱも別にして干して
夜になると大根が寒いのでビニールと毛布をかけて寝かせて、あさまた裸にして日に干してやった。二週間したら大根がUの字に曲がるようになったので、杉の樽にいよいよ漬け込む。
途中大根おろしにして食っちまったので17本漬けた。12キロだった。塩は800グラム、糠は一キロ。
こんなに塩いれたら血圧あがりそうーって思いながらとぐろを巻くようにつけていく、それは夫にやらせた、一段したら糠と塩をまきまた一段大根とぐろを巻いたら糠と塩をまき、最後に干せた葉っぱを置いてふたをした。ほかに唐辛子8本と昆布十枚と大豆と柿となしとりんごの干した皮も糠に混ぜ込んだ。これで極上のたくあんが出来るはずだ!
友人に20年前にいただいたたくあんが忘れられなくて聞いてみたんだけど確かピーナッツを入れたと聞きいていた。で友人はそれは大豆だというので、そうかと思って大豆を入れて。
ほかにチョコとかなんかいれたらほかの人のたくあんと格段の差をつけられるんじゃないかと思って聞いて見たけどチョコはいけないといわれた。あんまりへんなものを入れると味がおかしくなるそうだ。 一度も作ったことのない私はいきなりほかの人と差をつけようなんて、素人のよくやることだ。とわかっているけどやりたかった。で仕方なく大豆をたくさん入れて昆布もたっぷりいれることにした。そのくせ樽の一番下に糠と塩を混ぜたものを敷くのを忘れた。まあ上から落ちてくるだろう。
次の日たくあんがどうなってるか気になって寒い台所に行ってみた。樽のしたから黄色い汁がもれて台所がトイレのように臭い。台所でなくて便所のようだ。
仕方なくふき取って樽をプラスチックの桶にいれた。樽はたくあんを漬ける前に水に浸してもれないようにしなければならなかった。それも忘れてチョコなんか入れようかな、ピーナツなんかいれようかなって入れるもののことしか考えてなかった。たくあんは二ヶ月もしないと漬からないそうだ。
忘れていた、12キロのたくあんには12キロ以上の重石をしないといけないそうで、石の蛙が樽の上に乗せられた。
でもたくあんを漬けた日から家は便所のような臭いが家中に充満してしまった。
たくあん漬けは臭いのだ

2013年10月28日月曜日

大根干し

十勝の秋に漬物用大根干しの樽をあちこちで見るようになった。
ある日曜、昨日はフリーマーケットで一日売り子したから今日は寝てようと決め込んでいた矢先
朝っぱらから電話でおこされた。
義母が大根一さお(十本)買って漬物をつけるというので、もちろん車のある私は
近所のJAに買いに行った、おじさんがトラックで売っている。
大根は十本単位以外では売ってないのだ。さすが漬物の季節到来、一本なんてけちな数では
売らないのだ。 おじさんが、大根は重いのでネコで運んで車に積んて義母の元へ。
魚漬けを作るからキャベツも買ってきてと言ったけど、キャベツは大根が干せてからでいいんじゃないという私の助言も聞かずいいからキャベツは一個買ってきてというのでまあ生でたべてもいいかと思って買って行った。会長の命令には背けないのだ。
会長は機嫌よく迎えてくれて早速大根洗いを始めた。いい大根だとほめられ、朝早く起きて買ってきた甲斐があったと嬉しくなった。 木の樽も物置から出して洗って水を汲んでおけというのでたわしでごしごし洗ってから水を満たしておいた。
さて泥をとって洗った大根を会長は荒縄でなくて安いビニールの紐で結びだした、
さすが年のこうだなと思ってその手先を見ていた。実に手際よく大根を交互にしばっていく。
私としては荒縄でやって欲しかったけど、会長のこだわりは木の樽だけのようで、
最近はみんなプラスチックの樽で漬けるひとが多いとプラスチックを使う人間を小ばかにしていた。私の樽は何万円もしたというので、確かにねんきの入った美しい樽だった。
会長は来年は私はいるかどうかわからないから今年のうちに私が物覚えが良いから魚漬けを
教えておきたいというので、この人にもいいところはあるんだと思ってちょっと感動した。
大根の結び方も習得したし、大根も干したし、樽も用意したので、後は一週間大根がしんなりするまで干したら漬けだすんだけど、魚はみがき鰊をつかう。あほな私は磨いた鰊かと思っていたが、
すっかり干せた鰊のことだ。 ほかに米麹を使うそうで、鰊と麹は私が買っておきますと言って家に帰った。 
次の日は冬タイヤを買いに行って交換したり忙しかったけど、干した大根が気になるし、
みがき鰊と麹も買ったので届けに行った。
会長が出てきてプラスチックの樽買ったおいたから見て頂戴という言葉にかたまった私、
えっプラスチックの樽、いつもは会長に逆らわない私は、義母さん、昨日漬物は木の樽でないと
だめだって言ってたじゃないですか、と言ったら、最近はみんなプラスチックでやるんだという。
で、おまけに面倒ならやめるかって言うので、えっ私に伝授するって感動させてくれたのはなに???・・・・・・・・・・・・・
まあいい、プラスチックでも魚漬け最近はプラスチックが主流だって会長も思ったのかもしれない。
で気を取り直し、大根を見に行ったら大根のそばに布団があったので取り入れようとすると、
それは夜大根が凍れないように大根にかけて寝るんだと会長は言う。私の干した大根をそんなに
大切に思ってくれたのかと感動した。ところで魚漬けには大根は何本使うのっと聞いてみた。十本で足りるのかとちょっと心配したわたしに、会長は一本でいいんじゃないと言う。
だって、昨日朝早く私を起こして、後になると大根も高くなるし、一週間遅れるとまずいからって朝早いとはおもったけど、いてもたってもたまらず電話してして、一さお(十本)買ってきてと言ったあれは
何?????大根一本ならいつだってそこらじゅうのスーパーに買いにいけばいいんじゃないの、残りの9本のしんなり干せた大根おろしにもならない干し大根はいったいどうなるの???? 
台所には安っぽい黄色のプラスチックの漬物樽が置いてあった。 
またしてもやられたのだ・・・・

2013年10月10日木曜日

陶芸教室にデビューしたのだ

陶芸教室に連れが申し込んできた。
毎日が寝て曜日になったので朝8時前に起きたことがない。
夫がゴミ出し班長になってくれたので朝のゴミ出し時間も気にせず寝ている。
ので突然週二回の朝から陶芸教室はつらい。
初日はくじ引きで場所を決めるといわれた。
夫婦で行くのは私たちだけだったので先生が一緒の席が良いですかと聞いてくれた。
私は離れても良いですといったら連れは離れないほうが良いですと言った。
でも先生が困った顔をしてたので私たち皆さんと同じにくじをひいて席を決めますと言って
くじを引いたら同じ席だった。 どうしても別れられない運命のようだ。
日本の陶芸教室は初めてだった。まず先生が黒板の前で今日作るつぼや皿の作り方の説明をする。それが30分くらいかかる。それを全部記憶して理解して席にもどって一斉に作り始める。
でも4個も一日で作るので、説明の始めのころのは忘れている。
最後に説明してくれたフレッシュな記憶のものから始める。
でも、ねんどをこねることから始めるんだけど、百回こねろといわれた。
手がいたくなってからだがだるくなった。 でやっと手ひねりのつぼを作る。
家にはつぼだらけだから、つぼは作りたくないけどまあ初心者だから言うこと聞いてつぼを作る。
一番初めは台を作ってそのうえに卵くらいの粘土で棒状に伸ばしたものをうんこのとぐろのように
つんでいく、そのくりかえしだけど、まあ縄文式土器のつくりかたなんだろう。
けっこうたのしい。 次は四角い皿つくり。まず粘土をしかくの塊にして一センチの板を
両端に置いて面貌でのす。 その上に型をおいて余分な部分をカットする。
私はつい、クッキーを作っていると錯覚して型で抜いてしまった。あほか。
粘土を布巾の上に置いて、本物の葉っぱを置いて葉っぱの形や筋を写す。 
粘土の上に手の平を置いて 布巾を持ち上げ周りを高くすると器になる。
疲れたけどおもしろかった。 いつか縄文式土器を作りたい。